天真一刀流の組太刀の再現①:一ツ勝、の試し撮り。。。
天真一刀流 (天真伝一刀流) は寺田宗有を祖としてその後は白井亨に引き継がれた小野派一刀流の分派の一つです。
小野派一刀流 - 中西派一刀流 (小野派一刀流の中西道場) - 天真一刀流
・特徴
寺田も白井も「切落し突き」が最強である、と言わんがばかリで、「切落し突き」押しです。また、有名な赫機(ノビ)と呼ばれる視覚効果を使った突きを使います。形の説明で触れていきます。
・現在の小野派一刀流の組太刀への影響
ここは伝書の記載もないので、通常言われていることをベースに考えますが、まず中西道場では竹刀稽古がメインで木剣を使った組太刀の稽古はほとんどされていなかったと言われています。そんな中で寺田宗有は木剣を使った組太刀を研究し稽古に専念していたと言われています。その寺田の強さを目の当たりにして千葉周作は寺田から組太刀の形を教わったと言われています。つまり、北辰一刀流の江戸伝書に残されているのは寺田宗有の影響が色濃く残っていると推測します。事実、一ツ勝の二本目や五本目の脇構付などはその影響を見ることができます(後で記載)その寺田ですが、ここで一つの疑惑が産まれますが、北辰一刀流、中西派一刀流、更には天真一刀流に「巻切り」の技法が失われているのです。これはすでに中西道場自体に組太刀の正しい情報があまりなく巻切りが失伝したが、寺田が巻切りではなく切落し突きで入れ替えたか、が謎となります。
いずれにせよ、小野家本家が衰退していき、中西道場の一刀流と北辰一刀流が主流となり、その寺田が原点となっていると思われる組太刀形が広まり、現在の小野派一刀流の組太刀に大きく影響したであろうと推測しています。小野忠於時代の津軽伝書の組太刀と現代の小野派一刀流と北辰一刀流の形の違いがそこにあると思います。
津軽伝書に基づく小野派一刀流の組太刀の再現①:一ッ勝編、の試し撮り。。。
さらに、江戸伝書の北辰一刀流と天真一刀流においても大きく異なっており、これは寺田宗有が再構成した組太刀 (北辰一刀流)を白井亨が更に過激にアレンジしたことが推測され、それでも我慢できずに天真白井流に逝ってしまう顛末になるのではないかと思います。
(修正) 山鹿家も組太刀の形を応用することを推奨しており、且つ、中西派一刀流の竹刀稽古に傾倒していくため、山鹿家においても小野本家の形を失伝したと考えています。。
・一ツ勝は五本の組太刀の組太刀?
・津軽伝書の再現のコメントに、本来は一ッ勝は一本目だけ